23-6-03 サバイバル英語レッスン

6月からサバイバル英語のレッスンを受けることになった。
長い間海外に住んで仕事をしていたにもかかわらず、自信をもって「英語が得意だ!」と言えない悩みを解消するためだ。

その為に、3つの目標を立てた。
英語検定1級に合格する
・ネイティブレベルの英語力を身につける
・字幕なしでドラマや映画を十分理解できる

ChatGPTもDeep Lもふんだんに活用しながら、英語の「先生を雑巾のように使い倒し」(これは実際、そうしてくださいと言われた)をマスターしたいと思う。

「英語は手段で、要は話す内容だよ」という人もいる。まったくその通りで、否定するつもりは全くない。常に好奇心を広げ、情報収集をし、自分の意見を持つことは大切。
でも、高いレベルの英語力を身につけているのとそうでないのとでは雲泥の差だ。

というわけで、日々の勉強を記録していくためにブログを書くことにした。

早速、プロンプトを作成した。これが、正直な自己紹介みたいなもんだ(笑)

Setting: You are a professional English coach.

Context:
I am a man in my 60s.
I have been working in Europe for the past 24 years. As the SVP of Bandai Namco Europe, my job was to promote the company's content in the European market.
Although I used English in my job, I deeply regret that I did not learn English properly during my time there. As a result, I feel inconvenienced when engaging in highly flexible conversations with native speakers. I also struggle to confidently say that I am "good at English" despite having lived abroad for a long time. I believe this is because I feel the need to achieve a higher level of English proficiency.
In March of this year, I passed Eiken Level pre-1.

Current situation:
Since June, I have been taking "Survival English" lessons from a female English teacher twice a week, each lesson lasting one hour. I only speak English during these lessons.

Intended purpose:
The purpose of these English lessons is threefold:

To pass the Eiken Level 1 test in November.
To achieve native-level English proficiency.
Ultimately, to be able to fully understand dramas and movies without subtitles.

23-4-11 ベンガル猫たちとの暮らしを振返る

このブログ記事は、23-4-11 21時~Clubhouse「相棒猫との暮らし方」でゲスト登壇した時に話した内容です。

今回「相棒猫との暮らし方」というテーマでお話をさせていただく機会をいただき、ありがとうございます。このストーリーは、私がロンドンに駐在員として赴任した30年前、1993年に始まります。当時私は妻と2人の息子たちと共に、イギリス・ロンドンで暮らすことになりました。しかし、猫たちとの出会いはそれから10年後のことでした。

 

今日は、私がなぜ2匹の相棒猫たちを飼うことになったのか、そして相棒たちとの出会いから現在に至るまでのストーリーを、順にお話します。

 

【なぜ2匹の相棒たちを飼うことになったのか?】

ロンドンの自宅で、ねずみが突然現れるようになりました。その時、道路を挟んだところでビルの解体工事が始まっていたことが後にわかりました。私たちはねずみを追い払うための手段を探し始め、ローカル新聞に載っていた「ベンガル猫譲ります」という広告を目にしました。猫種を調べると、小型の豹のような形をしていることで、ねずみを追い払うためには最適な猫かもしれないと思い、連絡を取りました。

 

「是非見ていただきたいのですが、その前にお値段(価格)をお知らせしますね。メスが800ポンド(16万円)、オスが600ポンド(12万円)ですが、金額的にはよろしいですか?」と聞かれ、高額だと感じたものの、返事をしてしまい、猫を見に行くことになりました。


【出逢い】
相棒たちは、いまから19年前の2003年11月4日にロンドンで4匹の兄弟姉妹として生まれました。すでに2匹の行先は決まっていて、長女と3男が残っていました。家族で見に行き、一目見て「2匹とも飼いたい!」ということになりました。

後日、引き取りの際、売り主さんは、「別れがつらくなるので、ここで失礼します」と泣きながら2階の部屋に行ってしまいました。帰りの車の中でみゃーみゃーか細い声で鳴いていました。わが家は、長男(15歳)、次男(13歳)に加えて、年の離れた長女と3男の子供たちが家族の一員になりました。ちょうど、4人の兄弟姉妹になったようでした。相棒たちのなまえは、大和(オス)と飛鳥(メス)と名付けました。

【最初のハプニング】
その日から、長男は鼻かぜをひいたようで、くしゃみが止まらずに涙目になっていました。医者に診てもらったら、なんと猫アレルギーでした。長男は、ゴーグル(水中眼鏡)と抗アレルギー薬を飲みながら、猫たちを可愛いがっていました。

 

ベンガル猫は、外に出すと盗まれることがあるので、家の中で飼ったほうが良いとのアドバイスの通り、家の中で飼い、食事は基本ドライタイプでした。魚とか我々が食べるものには、焼き魚は目を離したすきに食べていたようですけど、それ以外はお刺身も鶏肉も我々人間が食べるものには手を出さないです。生まれて6ヵ月頃、大きな決断をしました。去勢手術です。子孫を残すためにメスの飛鳥は迷いましたが、去勢手術を受けることにしました。その時の苦い経験からなのか、獣医さんに行くのが大嫌いになりました。

 

猫たちは、締まった体になって、よくじゃれあっていました。わが家は、3階建てだったので、猫たちは1階から3階まで一気に走って登っては、降りる事を繰り返していました。我々に抱っこされたりするのを好まず、膝の上でじっとしていることもなかったです。お風呂のお湯に手をいれてみたり、水を飲むときは蛇口からぽたぽた落ちる水を飲むのを好んで、野性的な性格でした。子供たちが学校から帰ってくると、ただいまの次に「Catsは?」と猫たちの存在確認をするのが習慣になっていました。2人で絡まって寝ているところがアンモナイトの化石に似ていたので「アンモナイトになって寝てるよ」と存在確認をしてました。


さて、ベンガルは、アジア山猫と猫の掛け合わせで、ヒョウ柄が美しくい毛並み。厚く密着した毛はやわらかく、滑らかなシルクのような手触りです。筋肉質でがっちりとした体で、頭が小さいところも野生的な雰囲気を醸し出していますが、気品もあります。動きは力強く敏捷(すばしっこい)。猫の中では中型、うちの猫たちただいたい5.5kgでした。

 

話は戻りますが、大和と飛鳥は「あり余るエネルギーの持ち主」で、ひもの先に羽根のついた猫じゃらしが好きで、その羽根に向かって獲物を狙ったように飛び掛かるときの姿が美しく、高くジャンプします。それを繰り返し遊ぶのが好きで、家族はたくさん一緒に遊んで刺激を与えてました。高いところに登って遊ぶのも好きで、キャットタワーはもちろん、色々な家具の上に登るのが好きでした。私の肩に飛び乗るのも好きで、その度に背中に爪が食い込み、傷だらけになりました。高いところにいるほうが、パワーバランスが上なのか、競って高いところにいるようになってましたが、静かになり気づいてみると仲良くアンモナイトになって寝ていました。

 

困ったことと言えば、家族旅行の時ですかね。キャリーケージもペットホテルも嫌いなので、だいたい1週間ぐらいの休暇の時は、知合いに来てもらって食事トイレ掃除遊んでもらってました。ある時から、知合いのポーランド人女性が泊まり込みで猫たちを面倒見てくれるようになりました。
旅行から帰るときは、何らかのお土産を買って帰るのですが、だいたい決まってベットの上とかソファにうんこをして我々に不満をぶつけてくれました。

 

【引越し ロンドンからパリ】

私たち家族がロンドンで駐在員生活をしてから15年、猫たちが家に来てから5年が経った、2008年11月に転勤のためパリに引越すことになりました。猫たちの移動には、事前の予防接種履歴がわかるマイクロチップの装着と猫パスポートが必要でしたが、イギリスからフランスへの出国は手続きが整っていたので比較的スムーズでした。ただ、猫たちがキャリーケージに入れられると、ずっと泣き続けるのではと心配しました。そこで、ドーバー海峡をフェリーで渡る車移動を選び、何かあった時には車内で安心させることができるようにしました。

 

パリ到着後は、新居の中をウロウロしながら居場所を確認していた猫たちも、しばらくすると落ち着きを取り戻し、二人とも爆睡するほど疲れていたようでした。やがて、新しい環境でのストレスからか、飛鳥は自分でお腹を舐め過ぎて毛が抜ける(はげた状態)になってしまいました。獣医によると、ストレスが原因だろうとのことでしたが、大和は何ともなかったため、パワーバランス的にも大和がボス的存在になっていたのかもしれません。しかし、治りを見せてからは元気に遊び、よくケンカもしていました。

【2度目の引越し パリからロンドン】

約6年パリに住んで、今度はロンドンへ戻る転勤となりました。猫たちは11歳になり、年齢的には人間で言えば還暦に近いですが、長時間閉じ込められるキャリーゲージの中で2度目の引越しで移動することになりました。今回はドーバー海峡を車ごと乗りこむ列車での移動でしたが、相変わらず二人は泣き続けていました。

 

ロンドンの新居は、前回住んだ場所とは異なり、テムズ川沿いのマンションで天井が少し高めで、猫たちも気に入ったようです。マンション広めのエレベーターホールは遊び場になりました。

 

【3度目の引越しは国際線】

古巣のロンドンでの生活が3年経った2017年、私が定年を迎え日本へ帰国することになりました。猫たちにとっては3度目の引越しで初めての飛行機です。日本への入国検査項目がやや厳しく、予防注射と血液検査が必要でした。

飛行機移動は、キャリーケージが嫌いな二人にとってはハードルが高い試練でした。飛行機の中には、専用のペットスペースが前と後ろの2箇所あるのですが、幸い二人以外には他にペットはいなかったので、二人だけで過ごせるスペースになりましたが、14時間の長旅に耐えられるのか心配でした。

羽田空港で、大きなケージにそれぞれ入った2人に再会した時、二人は長時間閉じ込められたストレスからか、やや疲れたような表情をしていましたが、何事もなかったかのような・・・というより「長い時間、こんなところに閉じ込めて何考えてんだ」みたいな顔を見て、私たちはほっと一安心でした。


日本での新居は東京中央区月島で、近くの獣医さんにチェックしてもらったところ、「14歳をこえるベンガル猫は初めて見ました。状態は悪くないですけど、二人とも肝臓がやや弱っているので、注意しながらもっと長生きしてもらいましょう」と言われました。相変わらずキャリーケージも獣医さんに診てもらうのが大嫌いな二人でした。

 

日本に帰国して4年が経ったある日、大和の調子が悪そうで、歩くのがおぼつかない様子だったので、獣医さんに連れていきました。「肝臓がかなり悪い状態なので、即入院させて点滴を打ちましょう」と言われ、入院させることになりました。獣医嫌いだったので、帰国してからは検査にもつれていかずに自然に任せていたのが良くなかったのかな、と思い浮かびました。週末は獣医さんがお休みで、入院していてもモニターで監視しているだけなので、いったん自宅に帰宅させてもらうことにしました。夜は家内の布団の中ですやすや寝ていたのですが、少し苦しそうな声を出して、そのまま息を引き取りました。18歳27日、よく頑張ってくれた猫人生でした。

 

【現在の状況】

さて、現在大和の死から1年4カ月になり、飛鳥は今年11月4日で20歳になります。人間で言えば100歳ですかね。いまも毛並みが良く、食欲もあり、あどけない丸顔は変わらず愛らしく、子猫のような声で甘えることもありますが。ベンガル猫らしく精悍なところもあります。帰宅すると、て・て・て・・・と玄関に迎えに来て、可愛らしい丸顔で迎えてくれます。

 

相棒猫が私たちの人生に与えてくれた影響は計り知れないものがあり、彼らがいなければ私たちは今のような人生を歩んでいなかったかもしれません。純粋でかわいらしい存在が、私たちに癒しを与えてくれ、家族の絆を深めてくれています。

「我々の海外生活と家族を支えてくれたかけがえのない相棒たちです。」

 

最後に、みなさんにとっても猫との絆の素晴らしさをずっと味わい続けてほしいと思います。

うちに来たころの猫たち




ベストコンディションでい続けるために

【ベストコンディションでい続けるために】
「生涯現役」を実践するうえで、私が続けていることのひとつ。
それは、ズバリ!お相撲さんの「股割り」です。

■ 始めたきっかけ
ロンドンに住んでいた2004年頃、体調を崩して調子が悪くて何とかしたかった。
そんなとき、3分でできる4つの股関節体操「真向法体操」という本に出会い、見よう見まねで始めました。もう16年も前のことです。
特に体が硬いタイプではなく、前屈すれば床に指先はつく程度。

ただ、お尻のあたりの筋肉が攣りそうで思うように開脚そのものができませんでした。開脚ストレッチ(股割り)ができたら健康に戻ると思い、毎日30分、週末などジムで1時間ぐらいたっぷり続けました。

■ いつ頃から股割りの形になってきたか?
ほぼ毎日ストレッチを続け、ある時は股関節の違和感だったり筋肉の痛みが出てはしばらくして消えることが続きました。7ヶ月たった頃から開脚して前に倒せるようになってきました。ただ、まだ膝の裏は床から離れ、頭から曲げている感じで、背中が丸まったままでした。

「腰から入る」というか「臍を前に出す」感覚で、股関節に体重が乗って倒せるようになってきたのは1年数ヶ月たった頃でした。

■ 股割ができて何がどう変わったか?
体の不調は徐々になくなり、ストレッチをしたあとの爽快感がたまらなく気持ち良いので、習慣となりました。姿勢が良くなって、腰痛とは無縁になり、体調が良いので精神的にも前向きな気持ちになり完全復活することができました。
ところが、4年ぐらい前からなぜかあまりやらなくなりました。するとマラソンのトレーニングの後に腰が重くなり、ある時は軽いぎっくり腰になり、再び股関節体操をやることにしました。いまも積極的に続けています。

何も道具を使わず手軽に死ぬまで続けられるので、生涯現役を目指す私にとって、強い武器のひとつだと思っています。

最後にこの股関節体操(真向法体操)にどんな効果があるのか?
それはなぜなのか?
①「コマネチ」の股(股関節)部分に人体最大のリンパ節がある。
②この起倒体操は、その部分を圧迫したり緩めたりする。
③それに伴い、リンパ液が、強制的に押し出される。
④リンパ球は、ウィルス等に立ち向う戦士(免疫)。
血液の流れとともに、リンパの流れが促進されるので免疫力が高められ、病気にかかりにくい。だそうです。